国際支援NGOあいの歴史①

ここでは、NGOあいの歴史について、ご紹介したいと思います。興味のある方はお読みください。
*注)筆者の主観が入った内容になっていますので、自伝ではなく伝記的なものとして、ご理解ください。

NGOあいが誕生するずっと前になりますが、代表山原は、カンボジアに訪れました。
カンボジアといえば、日本でもすでに多くの団体により支援が行なわれており、国際協力を始める者のメッカ的な場所と言えるかもしれません。
カンボジアの貧しい子供たちを見て、国際協力に目覚めた日本人は多くいるはずです。
代表山原も、例にもれず、カンボジア国内の、富裕層と貧困層のギャップに強い違和感を覚え、
日本に帰国しても、カンボジアで見た貧しい子供たちのことが忘れられず、
彼らのために何かをしたいという気持ちは、次第に強くなっていきました。

当初の目標は、カンボジアでの「学校建設」でしたが、当時、普通の会社員であった自身の給料では
到底その資金は集められそうもないと頭を抱えました。
どうやら、こつこつと貯金をするとか、募金を集めるという発想はなかったようです。
そこで、いっそのこと、起業して思いっきり金儲けをして、その金で学校を建ててやろうではないか(ウッシッシ)と、
長く勤めた会社を退職するという、大胆な結論に至りました。
これで成功をおさめなければ、大ばか者の烙印を押されるのは間違いない、というような決断と言ってもいいかもしれません。
・・・実際、その不名誉な烙印は押されかけたのかもしれません。
世間は甘くなく、起業したものの、会社はあまりうまくはいきませんでした。
金儲けどころか、路頭に迷いそうになり、あやうく支援される側に回るところだったとか。
(でも、今でも会社は続いてます。Thank GOD!)

そんな時、NPO法人チルドレンホープの石原悦子さんに出会いました。
悦子さんは、家族でウガンダへ移住し、エイズ孤児をはじめとする貧困地域の支援をされています。
学校を建てるという目標は難しいけれど、孤児が作ったストラップやブレスレット販売ならすぐにでも協力できるうえに、
会社がつぶれても、ずっと続けられると思い、すぐに協力を申し出ました。
様々な場所でストラップ販売を展開し、この活動がきっかけで、いろいろな出会いがあり、仲間も増えていきました。
ちゃっかり結婚相手まで見つけました。
ずっと、個人で活動してきましたが、仲間の後押しもあり、長女の誕生したその日に、
「国際支援NGOあい」を設立することにしました。ちなみに、「あい」は、山原家長女の名前が由来です。
正式に団体が発足してから、出会いはさらに広がり、新聞や情報誌に取り上げられたりする中で、活動の幅も広がってきています。
ウガンダの子供たちが作ったストラップやブレスレットは、現在、たくさんのお店が販売に協力してくれています。
また、ウガンダのフェアトレードコーヒーの販売も始めました。

ところが、次第に、活動は頭打ちし始めました。いえ、はっきり言いましょう。衰退し始めました。
活動を始めて、いろんな仲間に支えられてきましたが、現在、活動人数は、実質3名(代表含む。)・・・。
かまいません、大いに笑ってください。
普通なら、ここまであからさまに活動人数が減れば、いくら代表とはいえ、やる気がなくなっていってもおかしくはありません。
ですが、その点に関して、愚痴を言ったり、ましてや活動をやめるという考えには至りません。
少しでもグッズが売れそうなイベントがあれば、参加し、ストラップやブレスレット、ウガンダコーヒーを販売し、
売り上げのすべてを仕入代にまわし、利益になった分は、ウガンダの子供たちへの寄付へと回すというサイクルを
ひたすら繰り返しています。もともと個人で活動していたことが、彼の強みなのかもしれません。
インタビューでは、地位や名声がほしいなどと、メンバーを不安にさせるような発言をしておりますが、
こうやって彼が、まるで日課であるように黙々と活動に取り組んでいることが分かっているからこそ、
ほかのメンバーも、彼を支えたいという気持ちでい続けられるのです。たった二人ですけれど。

月日が経ち、山原家は、三重県から、沖縄県石垣市へと引っ越しました。
そこで、NGOあいは、転機を迎えます。

つづく。



   

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