シエラエッセイ集

02. 掘立小屋の電気事情

年々、フリータウンの人口が爆発的に増えてきている。
単純にシエラレオネの人口が増えていることもあるのだろうが、村から仕事を求めてやってくる者も本当に多い。
村で真面目に農作業でもしていけば、贅沢はできなくても、それなりに食べていけることができるはずなのに、
楽な生活を求めてフリータウンにやってくるのである。
かといって、フリータウンに仕事があるわけではないのだが。
ますます人口が増えるフリータウンでは、部屋を見つけるのが本当に難しい。
だから、3畳ほどの小さな部屋で、5人くらいの人数でぎゅうぎゅうになって寝るのである。
私が、6畳ほどの部屋に住んでいた時に、「こんな小さな部屋にいると、時々窮屈で息ができなくなる」というと、 爆笑されたことがある。「こんな広い部屋、10人が寝泊まりできるぞ」と。
私は決して笑ってほしかったわけではないのだが、気が付けば、こっちの人たちへの鉄板ネタのひとつになっている。

今回は、フリータウンの人々がどのような家に住んで生活しているのかについて、少し紹介したい。
しっかりとしたセメントブロックで作られ、庭もあり駐車場もあるような大きな家ももちろんあるが、
一部のお金持ちしか住めない。
かなり多くの人たちは、トタン板で作られた掘立小屋に住んでいる。
木で骨組みを立て、その周りをトタン板を釘で打ち付け、ドアを取り付け、部屋の床をセメントで固めれば、完成である。
その気になれば、二日もあれば、一軒家が出来上がる。費用は、500~600ドルくらいであろうか。
でも、ほとんどの人は、そのお金を一気に出してしまうことができないから、ときには、その程度の小さな掘立小屋を
立てるのにも、1年以上かけて、少しずつ完成させていくのである。

そのような簡易な家が、ずらりと並んでいるところでは、はっきりいってプライバシーなんてものは存在しない。
両隣の会話が筒抜けなのも当たり前なので、隣の家で、誰かが会話している内容に興味があれば、
そこに2・3軒先の家族まで家の中からその会話に加わることだって珍しくない。
私が音楽を聴いていれば、「その音楽好きだからもう一回かけてくれ」と隣の家からリクエストされることだってある。
そう、私もこの掘立小屋の住人のひとりなのである。

よく驚かれるのだが、こんな掘立小屋にも、電気が通っている。
もちろんまだまだ停電は頻繁に起きるが、2015年の今、電気はすでに都市の人々にとってなくてはならないものになっている。
ほとんどの家庭にテレビがあり、扇風機があり、冷蔵庫のある家庭も最近は増えてきた。
日本の主婦と同様、女性たちは、洗濯や料理や掃除などの家事が終わると家の中で音楽を聴いたりやDVDをみて、リラックスするのである。
ここ数年の電気事情の変化をみるだけでも、暮らしは随分ましになってきていると思う。
2007年のころは、ほとんどの家に電気はひかれていなくて、発電機をちらほらと見るだけだった。
そこから数年がたつと、ようやく資金のある人がメーターを買うことができ、ひとつのメーターで、
20件近くの家庭が電気をシェアするということをしていた。みんなで電気料金をトップアップし、
クレジットがなくなれば、またメーターの所有者が各家庭で集金してまたクレジットを購入するということが主流になった。
それでも当初は、料金が高かったため、みんなで話し合い、電気を使えるのは夕方6時から朝の7時までと時間を決め、
メーターの所有者は、朝の7時ごろには全員の電気を切っていた。そして夕方になるとまたつけるのである。
このように、みんなでシェアするものだから、うちの近所では本当にもめごとが多かった。
何世帯もの人たちが一緒に、一つのメーターをシェアするとはいえ、各家庭によって、電化製品の数はもちろん違う。
仕事で外にいることが多い人や電化製品の数が少ない人も、一日中家にいてたくさんの電化製品を持っている人も
同額の料金を支払わなければならない。
だから、当然不満がでてくる。だが、文句を言うのはだいたい、電気製品を頻繁に使っている人たちだったように思う。
「あなたの家のテレビが少し大きすぎて電気料金があがる原因になっているんじゃない?!」
「なによ!あなたの家にはアイロンがあるんでしょ!分かってるんだから!旦那さんがいつもぱりっとした服で出かけてるじゃない!」
とか、そんな些細なことで、電気料金に関して家庭を切り盛りする女性たちの大きな喧嘩が何度も起きた。
また、メーターの所有者が、集金したお金を一部ピンハネしているという疑いも常にみんなが持っており、問題はなかなか解決しなかった。
そういうのに懲りたのか、メーターの所有者は、少しずつ、電気をシェアするということを辞めるようになった。
みんなそれぞれに、無理してメーターを買うことにし始めてから、電気料金に関する問題は最近聞かなくなった。

私自身も電気をシェアすることは随分前にやめて、せいせいしたのだが、ああいうもめごとが起きなくなったことが、
少し寂しくもある。これは私のわがままなのだけれど。
もめごとが面白かったとかそういう意味で寂しいと言っているわけではなく、少し不安になるのである。
今でも、みんな、「他人のものは私のもの、私のものも他人のもの。」とでも考えているかのように、
いろんなものを勝手に他人の家から持ち出して使ったりしているが、
電気のシェアの減少をきっかけに、もし、少しずつ、この国の人たちがもしすべてのものをシェアすることをやめて、
各家庭が孤立化していくことになったら・・・と、日本の状態とついつい重ねてしまう。
だから、みんなの生活が良くなることはうれしいのだが、日本と同じ道をたどってほしいとは、やはり思えないのである。
(ちなみに、私はどうしても、今でも、「私のものは私のもの、他人のものは他人のもの」という考え方が捨てきれず、
絶対に何も借りないし、貸さない。だから、この国で友達は一人もいない・・・。まさに孤立状態。)

こうやって、いつもこの人たちがもし日本のようになってしまったらと、妄想しては、心配したり、モヤモヤするのだが、
ふと、ずらっと並ぶ掘立小屋を見て、「孤立化は無理。したくても無理。」とついつい鼻で笑ってしまうのである。



      

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